カタバミの島-宝島事件-

宝島

 薩摩藩本港より南へ90里(350km)ほど。翠玉の光と珊瑚礁で覆われた、カタバミ型の穏やかな小島。
 トカラ列島の最南端に位置し、周囲3里半(13km強)ほどのこの島では、何処にいても潮の粒を浴びているかのような感覚を覚える。
 薩摩藩直轄領のため、郷には属さず舟奉行の支配下に置かれていた。遠見番所を設置し、藩より在番が派遣され、海上警備の要の一つでもあった。
 古くから農耕や漁業に精を出し、毎年のように訪れる台風に疲弊しながらも村高390石余。
 また、隣の小宝島とともに日本列島で最北端の位置にハブ(トカラハブ)が生息しており、彼らともまた長い付き合いである。

黒船現る

 文政7年(1824)7月8日

 朝催いを済ませ村に賑わいが出てきたころ、1人の男が集落へ駆け下り、息を切らしながら番所へ走ってくる。
松元 「如何したっ」ごくりと息を呑む。
遠見番「沖合に、船がっーー」
理兵衛「国許からか」飯をすすめる。
松元 「否、薩摩より来島の知らせは入っておらぬ」
 両名騒然とし、朝餉あさげを避けて遠見番へ近寄る。
遠見番「北の沖合に太っとか船がーー白帆を掲げちょいもすっ」
松元 「……相分かった。他の者へも伝えよ」
遠見番「はっ」急ぎ走り去る。

 在番の松元次兵衛・横目の中村理兵衛は慌てて丘の天面まで向かう。
 相当に息を切らしながら遠眼鏡を覗き込むと、確かに大船が向かってきている。
松元 「何奴だ」
理兵衛「琉球……もしくは清ではござらんか」 
松元 「いや、見たことがない」
 急激な不安がよぎる……そして確信する。
松元 「異国船かっ。相当に大きいぞ」

 この日、島の南東、荒木崎あらきざきより女神山めがみやまに向かってたつみ(南東)の風が吹いている。本来ならば西方へ流れるところを、爽快に波をかわし徐々にではあるが近づいてくる。その船の大きさと力強さと黒塗り、この3点で充分である。
 近年各地へ訪れる異国船来航の様子は、離島の役人にも伝わっている。薩摩藩が各地へ大急ぎで遠見番所を増築させたのも、異国船の警戒心からである。

 集落では、騒ぎを聞きつけた村人たちが慌てふためき逃げ惑う。
 村役人の前田孫之丞は、騒ぎを平らげようとしているが手に負えず、同役人の平田藤助、平田平六に加勢を頼む。
 やがて、役人たちが丘の天面に集まりだす。徐々に迫り来る大船に胸を圧迫され、中には足がすくむ者もいる。
松元 「鉄砲を用意せえ」
役人 「へっ」
松元 「襲撃に備えるんじゃ。そいから、集落にはとかく、家に篭り落ち着くよう云っておけい」
役人 「はっ」
松元 「お主は見張りを続けよ」
遠見番「はっ」

 数名の役人に指示を出し、残った者を引き連れ、やがて来るであろう浜へ急いで向かう。浜手前にて足を止め、藪の中に身を隠す。
 やがて、在番の貴島助太郎、所用にて派遣されていた横目の吉村九助も到着する。
松元 「何処へ行っておった」
九助 「気にかけることが在りもして、貴島殿としばし大間おおまの鍾乳洞へ」
松元 「そうか……しかし、難儀なことになった」
九助 「ええ。異国船にて間違いなかでござろうか」
松元 「おそらく」
貴島 「レザノフやフェートンの件もありましたな」
松元 「うむ」
 松元たちは、沖へ目を向け緊張を走らせる。
 
 日盛りを過ぎたころ、大船は島北方にある前籠まえごもりの沖合半里(2km)ほどの位置に構え、なんとも大きな錨を、けたたましい掛け声とともに海面へ叩きつける。
 その迫力に圧倒される役人たち。只々硬直し、声も発せられぬ。
理兵衛「一体、俵をいくつ載せられるのだ……」
九助 「100……いや、200でも効かんかもしれぬ」

 やがて、1艘の脚船はしけを降ろし、を翼のようになびかせ、辺りを警戒しながら7人の男たちが浜へ着く。
 勢が太く、鼻尖はっきり高く、凸型の笠をかぶっており、その外れからは毬毛いがげがはみ出している。
松元 「やはり。異人か」
九助 「如何にも」
松元 「お主らは待機しておれ」
 松元次兵衛は、中村理兵衛の二の腕を掴み上げ、自身らだけで対応すると言い出て行く。
 一見勇猛ではあるが、その足取りに鬼島津の影は非ず。

交渉

 浜には3人の男たちが降り立ち、すぐに引き返せるよう、残りは脚船はしけの中で待機している。
 打ち寄せる波の音が響く中、7人の翠玉の眼が一点に集中する。
 
 両名が現れ、極度の緊張状態に陥る。やがて、緊迫した空気の中、口火を斬る。
松元 「何処の船か」
異人 《首を傾げ、両の掌を天へ向け、大きく広げる》
 7人は互いの目を見やって首を振る。次いで何やら話し始め1人の小柄な男が前へ出る。
異人 《船を指し、島の周辺を大きく左右に指し、両の手を丸め、互い違いに目に当てる。浜の先にいる数頭の牛を指し、手を招いて軽く頷く。クチギワは軽く上がっている》
 後方の男たちも、クチギワを軽く上げて頷いている。
松元 「……牛を請うてるようだ」
理兵衛「へい、そのように」
松元 《遥か遠くを眺め暫く考え込む。次いで、申し訳なくも凛々しく首を振り、腕を突き立てる》
異人 《顔を渋く強張らせる》
中村 《恐る恐る目で見やり、首を振る。依然、鬼島津の影非ず》

 強くなりだした潮風に煽られ藪の中から人影が現れる。辺りにも点々と影が現れ、島全体からは所々に影を感じた。
 男たちは危険を感じ、両名に手振りで別れを告げ、浜に降り立っていた者を脚船はしけに乗せ大船へと引き返していった。
 影には、横目の吉村九助以下、役人数名、恐ろしくも好奇に惹かれた村人たちの姿があった。

 大船は北方へ走り去り、やがて夕闇に紛れて見えなくなった。
 在番所では役人が集まり、今後の対策を練る。
九助 「やはり、狙いは牛ですか」
松元 「うむ。長崎で聞いとったが、奴らが牛や豚を食すというのは誠らしい」
 役人たちがひそひそと騒ぎ出す。
理兵衛「ですが……」
松元 「うむ。幕府からは交易を禁じられておる」
九助 「それに、我々にとって食料でない以上、牛はやれませぬな」
 そこにいる役人全員に緊張が走る。
理兵衛「また来やっとでしょうかねえ」
松元 「いざと云うときは……」
 多くの者が息を呑む。
九助 「先ずは見張りを立てましょう。より多くの場所に」
松元 「うむ。より遠目が利く者を立たせいっ。篝火も各所へ」
役人 「はっ」
九助 「前籠は元より、センゴ、大間、荒木崎にも見張を立てように」
役人 「はっ」
松元 「鉄砲は何挺あるか」
九助 「7挺しかーー」
松元 「左様か……しっかりと手入れをさせい」
九助 「はっ。それから竹槍の用意を致します」
松元 「先端はしっかりと炙っておけい」
九助 「はっ」
九助 「平田の兄弟(藤助・平六)、お主らは急しこて腕っ利きの良か者を集めて竹を刈れ」
藤助 「分かいもした」
平六 「根絶やしにして来もんそ」
九助 「他ん者は、見張りと竹の研ぎ出しを手分けして取い掛かれ」
役人 「はっ」
 各自、九助の指示に従い持ち場へ赴く。
九助 「藤助……」
 耳元で一言呟く。
藤助 「良かとですか」
九助 「ああ、良か」

 番所には松元、貴島、九助、理兵衛の藩在番4人が残り、協議を続けている。
理兵衛「前田殿が戻られましたぞ」
九助 「おお、前田殿。村人の様子は如何でしたか」
前田 「ええ、怯えてはおりましたが、どうにか落ち着かせてきました」
松元 「難儀であったな」
前田 「なんの……こげん時こそ村役人の務めですから。そいから、男衆には役人を手伝うよう言っておきもした」
九助 「前田殿。明日一番にて、(奄美)大島へ飛報を頼み申す」
前田 「ええ、万一に備え、船は2艘用意してありもす」
理兵衛「さすが前田殿。仕事が早かですな」
九助 「では、もう1艘にはこちらの貴島を。そいから平田の兄弟を」
前田 「おお。これは心強い」
貴島 「では、よしなに」
九助 「……そいから、助之丞と後藤兵衛にも加勢するよう伝えもした」
松元 「あの賊徒どもか……」
九助 「手荒な奴らですが、相当に腕は立ちます」
松元 「うむ。存分に働かせい」
九助 「はっ」

 潮風によって濡れる藪の中、男たちが夜通し研ぎ出しに精を出す。
平六「兄上、竹も、こしこあれば良うなかか」
藤助「良かかのう」
平六「お主らも。もう良かで運べ」
後藤兵衛「へい。助之丞、もう良かど」
助之丞「おう。」
 こうして、たったの一晩のうちに、孤軍なりの要塞を築き眠らぬ島となった。

決裂

夜が引き明ける頃、北方の遠見番が九助たちのいる番所へ息荒く走り込んできた。5里(20km)ほどの沖合に現れたと。

仕掛け

一撃

撤退

帰せぬ黒船

塩漬け

その後

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